METAL RYCHE m-2316

METAL RYCHE鋼鉄帝国として20年ほど前から やっていたホームページから転進しました。 「鋼の旋律」は主に音楽関係について。 ジャンルは軽音楽なので気楽に読んでくれ。 「鋼鉄の言霊」は社会一般に対する我が闘争。 我が妄想に近いが、我が早漏よりもましであろう。まあ、これも気楽に読んでくれ。 「銀河のスクラップ」は本や映画の感想など人生のスパイスだな。たまに塩味がきついが気軽に読んでくれたまえ諸君。

忘れられたアティチュード

 B!誌1985年11月号のレビューにおいて聖飢魔II「「悪魔が来たりてヘヴィメタる」は0点だった。0点は後に先にもこのアルバムだけで、以降、聖飢魔IIはB!誌においてまともに取り上げられたことがなかった。ところが2021年3月号で表紙になり特集を組むという。切っ掛けになったのは広瀬編集長が20年12月にバンド取材を直訴、聖飢魔IIのライブ会場で0点をつけて長く無視していた事を謝罪し表紙と大特集を約束したことが実現したという流れである。このネタは大人の事情だろうからそこを突っ込む野暮なことはしない。しかし”0点を謝罪した事”には当時の雰囲気を知る人間としては、どうも釈然としないものがある。0点を付けたことはそんなに酷いことだったのか。
 1985年当時B!誌はまだ創刊から1年ほど。ヘヴィメタルサブカルどころか世間から酷い偏見で見られていた時代。現代的にわかりやすく言えば熱狂的なアングラアイドルのキモオタぐらいに見られていた。だがしかし!ファンはメタルに対して熱かった。当時の話は伊藤政政則氏などがよく語られているし、当時のライブ会場やHMサウンドハウスの写真などからもその熱さが伝わってくる。真剣すぎるほど真剣だったんだよ。英米バンドオンリーで邦楽メタルバンドなんて認めないなんて奴が普通で、あのラウドネスすら認めてなくて、アンセムみたいな硬派なバンド達がライブを数限りなくやってようやく認められ始めていたぐらいな状況だったんである。だからほとんどの読者はおちゃらけ聖飢魔II0点に納得した。これを謝罪する必要があるの?

 そして問題のレビュー(下に全文掲載)だがバンドよりもそのバンドを利用しようとする周りに対して批判が向けられている。これは当時のメタルバンドの多くが持っていた「売れる事は悪=売れようとする奴も魂を売った悪」というアティチュードだ。そういうアティチュードだったのに売れたバンドはニセモノの蔑称として”ポーザー”と呼んで馬鹿にしていたファンも多かった。このレビューは当時のアティチュードそのもので読者は喝采こそすれ批判はしなかった。今考えれば明らかにおかしい考え方なのだが当時はこれでみんな大いに納得したのだ。
 問題のレビュー後、聖飢魔IIは現在に至るまで活躍し、俺は全く聞いたことは無いが、それなりの作品と実績を残している。問題なのは最初の0点ではなく、その後も扱わなかったことにある。0点を付けた酒井康氏が健在ならともかく広瀬編集長時代もこれが続いた事こそおかしいのではないか。謝るのは自分の非だけでよく0点を謝る必要があったのか。あの0点は周りに向けてのものでありバンド・作品そのものではないとハッキリさせればバンド側もあの時は乗せられていたと言うような別のコメントが出てきたのではないか。インテリジェンスとメタル愛が無ければここまでバンドが続かないことはB!誌の方こそよくわかっているのではないか。
 物事は窮したら基本に帰れとよく聞く。B!誌にとって何が基本なのか。0点をつけたあのアティチュードが基本の一つではないかと思う。0点謝罪は古くからのファンにはまさしくポーザーと見えた。それと表紙写真もバンド側の宣伝写真というのは媚びを売りすぎ。3月号を切っ掛けに古くからの読者が離れてしまわないことを祈る。

 


B!誌1985年11月号 聖飢魔II/悪魔が来たりてヘヴィメタる レビュー全文
「面白い、楽しい、笑える でも、それは、結局、HMに対する侮辱だと思う。完全に色物だが、当然、ファンもつくし、興味を示すプレスもあるだろう。しかし、それが一体どれくらい続くのか? もし、洒落でやってるとしたらこれほど人を馬鹿にしていることはない。こういう新人を出すレコード会社の人間も最低である。奴らはHMのことを真剣に考えてはいない。頭の中は“商売、商売、金、金、金……”。頭がいいのに悪事に使ってしまう愚か者と同様、技術はあるのに邪道を走ってしまったこのバンドにインテリジェンスを求める僕が悪いのか……。真面目にやってるバンドが可哀いそうだ。宛名の書き方も知らない不作法なスタッフもバンド以上に情けない。Fuck Off!!」