METAL RYCHE m-2316

METAL RYCHE鋼鉄帝国として20年ほど前から やっていたホームページから転進しました。 「鋼の旋律」は主に音楽関係について。 ジャンルは軽音楽なので気楽に読んでくれ。 「鋼鉄の言霊」は社会一般に対する我が闘争。 我が妄想に近いが、我が早漏よりもましであろう。まあ、これも気楽に読んでくれ。 「銀河のスクラップ」は本や映画の感想など人生のスパイスだな。たまに塩味がきついが気軽に読んでくれたまえ諸君。

 俺とオジー

 ビートルズ好きだった俺は高校生になって周りの影響でいろいろな洋楽を聴くようになる。おりしもNWOBHMの影響でハードロック・ヘヴィメタルはアイアンメイデンを筆頭に盛り上がりご多分に漏れず俺も盛り上がっていた。だがしかし当時の俺は大学受験に対して異常にこだわっていた様に思う。というのも高校受験で失敗して滑り止め高校に通っていた俺は大学受験こそはという気持ちがあり、高校生活をエンジョイ!みたいな気持ちには最後までなれなかった。それが反映されたのかいつしかメタルな方向では無くプログレな方向に進んだ。しかも大学受験に失敗したことでさらにこの傾向は陰鬱に強くなっていく。なんとか一浪で大学進学した俺だったのだが、これも滑り止めだった。これがまたやりきれないというかなんというか鬱々としたものがあったのだが、次第に気持ちは明るくなっていく。それに伴ってハードロック、メタルを聴くようになっていく。そんななか84年オジーオズボーン「月に吠える」ジューダスプリースト「背徳の掟」がリリースされて、この2枚が俺のハートを直撃した。ここからはこの2アーティストを中心にHR/HMを過去に遡って聞くことが多くなる。最新アーティストでは無く過去を深掘りに行ったというのが自分で言うのも何だが俺らしい(笑)。これは熊本という地域事情もあった。過去掘りするための資料本や中古レコードはなんとか買えた。逆に最新情報の方が入手困難だったのだ。まだB!誌もなくラジオはNHK中心で地元エフエム局はようやく出来たばかりで、そこのDJは相変わらず「パープル最高」だった。

 858月俺はアメリカカリフォルニアに1ヶ月ほどホームステイした。ここで本場のメタラーの洗礼を受ける。ステイ先にほぼ同い年のメタラーがいて仲良くなった。オジーが好きだと英語で言っても通じなかった。発音が悪かったのだ。「オジー」ではなく「アジー」に近いと知った。ある日、こいつの友達連中とパーティやったが、いわゆるヘドバン、エアギターをやっていた。なんだこれと思ったがめちゃくちゃかっこ良かった。別の日、メタラーでは無いメンツも集まってのパーティの時は、女子から「今日はメタル、ブラックサバスとかかけるな!」と注意されていたのを覚えている。当時のアメリカでもまだメタルはやばさを持っていたのだ。後に知ったがメタリカも近くでライブ活動しており、俺が帰国した1週間後ぐらいに「デイオンザグリーン」という伝説のフェスに出演していた。オジーは大人気で(ジューダスはそうでもなかった)Tシャツやら帽子やらグッズを買って帰った。日本の熊本という、ど田舎で前面いっぱいにオジーとジェイクが絡んでいるお下劣なTシャツを着て街を歩いていた俺はヘヴィに重いどころか浮きまくっていた(笑)。時は流れて89年。就職した俺はメタルコンサートにも行けるようになった。そこにオジーがやってくる。公演当日、俺は張り切って家を出たものの、コンサートチケットを忘れていったん自宅に引き返すほど舞い上がっていた。新加入のザックワイルドが金髪を振り乱しながらファッーーーークと叫んでいたのを思い出す。とにかくこの当時でもまだ全員がヘドバン、エアギターにはならなくてたまに拳を振り上げて、さびを歌って”ノル”スタイルだった。さらに時は進み98年には結婚した嫁と二人で見に行った。嫁と二人で見たメタル系コンサートはオジーが唯一だ。しかもこれ会場の福岡サンパレスに泊まったので、コンサート終了後そのまま夜のヘッドバンギング、いやウエストバンギングか(笑)に突入した思い出がある。

 MTVの「オズボーンズ」は当時、WWEアメリカンプロレス)にハマっていて衛星放送を契約していたので始まったと同時に見ていた。素のオジーが見せる、もう笑うしか無い生活に毎回爆笑だった。残念ながらまだ当時はビデオテープだったので我が家には一部残っているだけだ。その最終回近くでオジーがバギー車で事故る場面がある。これやらせでも何でも無く死んでもおかしくなかった事故で、これをきっかけにオジーの活動が鈍っていく。さらに肝心の音楽の方もマンネリというかメタルはメタルだし、ギターはザックだし重いのだが、なんとなく印象に残らないアルバムが続く。カバーアルバムもあまり興味が持てなかった。この間、オズフェストが日本でも開催されているのだが、残念ながら俺の体調の問題もあって参戦していない。正直なところ2010年代ぐらいからオジーに対する興味はかなり薄れていたのが本当だ。

 しかし今回のラストコンサートで改めてオジーが俺に与えてきた影響の大きさに気づかされた。だってオジー、ブラックサバスだけでこんだけ文章が書ける。なんというのかな、親戚にいるじゃん子供の頃ちょっと悪さを教えてくれるおっさん、俺にとってオジーってそんな感じなんだわ。今回のコンサートで必死に歌うオジーには、そこまでに至る人生そのものが感じられて感動的だった。特にジェイクの参加はほんとに良かったが、ボブ・ディズリーは無理だよねとか、アイアンメイデンはやっぱ駄目だよなとか、サバス最大のリスペクターかもしれないリー・ドリアン関連は無視なんかなーとか、全てがハッピーエンドで無いところもオジーらしいよ。オジーおっちゃんいつまでも元気でな。