前作から17年後を描くが、なんと言ってもこの作品は実際に熊本大地震が来た後だからこその作品だ。
おそらく作者にはあまり続編を書く意思はなかったであろうが熊本大地震が書く動機になったのは間違いあるまい。
前作からの接続が何の違和感も無いのはお見事の一言。
そしていきなり団子とばかりに加藤清正公の御登場である。
確かに熊本市民の清正公に対する思いは半端無い。
熊本市は清正公がここに街を造ったことから今も存在している。
他の都市はそれなりに昔からの存在理由があるが、熊本市はそこまでの理由が無く清正公が対島津の要塞として構えた街が九州の真ん中という地の利もあって今日まで発展して存続した。
だからこそ熊本市民は清正公を心の拠り所にする、蘇るくらいに。
そして黄泉がえった。
ミフネリュウの黄泉がえりまでいくとこれは作者独特のユーモアでエンタメ要素てんこ盛りだ。
前回の黄泉がえりと今回の黄泉がえり微妙に違うところが何故なのかは徐々に明らかになっていくがこの明らかになっていく過程はまさにSFタッチで謎めいていて良い感じだ。
前回の黄泉がえり現象の唯一の生き残りである相楽玲子の娘が、今回の黄泉がえりの原因となる第一高校生の相楽いずみ。
熊本出身、熊本を出て20数年の俺は第一高校が共学になったことを実感した。
それともうひとつカワヘイが俺と同い年で妙な親近感が湧いた。
このいずみを巡る追走劇は非常に盛り上がる。
しかしこの後、清正公が暇になるという辺りはちょっとだれた。
確かに外に出れば大変なのはわかるが、もう少し熊本城復興とかに絡めても良かったのではないかと思える。
またはラストにそのままなだれ込んだ方が物語としては面白かったのではないかと思う。
最後の超大型台風をきやすというオチだが、このオチを昨年7月の豪雨災害の前に考えていたとすると・・・やはりSF作家は何か感じるところがあるのだろうか。
この続編をあらゆる災害からの立ち直りを祈念する作品だとすれば大仰とも言えるハッピーエンドは納得がいく。