METAL RYCHE m-2316

METAL RYCHE鋼鉄帝国として20年ほど前から やっていたホームページから転進しました。 「鋼の旋律」は主に音楽関係について。 ジャンルは軽音楽なので気楽に読んでくれ。 「鋼鉄の言霊」は社会一般に対する我が闘争。 我が妄想に近いが、我が早漏よりもましであろう。まあ、これも気楽に読んでくれ。 「銀河のスクラップ」は本や映画の感想など人生のスパイスだな。たまに塩味がきついが気軽に読んでくれたまえ諸君。

ワールドロックナウ 2024年3月30日放送

渋谷陽一氏が病気療養中のため伊藤政則氏が代役を務めていたが、とうとう番組の終了が発表され今回の放送をもって97年からの27年間の放送を終了した。

渋谷陽一氏は78年にサウンドストリート以来、何年かのブランクはあったもののNHK‐FMDJ番組を担当していた。CDショップが身近に出来て気軽に手に入る様になった90年代以前は音楽情報はまずラジオからだった。当時はレコード1枚買うにも金が無いので慎重にならざるを得ず、実際の音が聞けるラジオ番組はとにかくありがたかった。そこで紹介される曲やアーティストを語るDJの影響は大きく、産業ロックと当時フォリナーやジャーニーなどを揶揄して名付けたのは渋谷氏だ。日本の洋楽がロキノン系とバーン系にまるで二分されたしまった様な時期があったのも渋谷氏がメタルをゴミじゃ言ってしまったからである。この番組ラストを代役のメタルゴッド伊藤氏が務めるとはなんという因果であろう。番組ではレッド・ゼッペリン「アキレス最後の戦い」が最多リクエストということでオンエアされていたが、如何に70年代からのリスナーが聞き続けていたかがわかる。若い人には全くピンとこないだろうが渋谷陽一氏はレッド・ゼッペリンの熱狂的ファンでありレコード時代はライナーノーツ(これもわからないかな?400字ぐらいの解説みたいなのが入っていたのだよ)も書いていた。そして年末の番組では必ずレッド・ゼッペリンの曲がその年の流れとは全く関係なく1位(笑)だった。80年代中盤にロッキンオンが洋楽誌発行部数一位になったが、これにはNHKラジオがかなり影響していた事は間違いない。そこから日本の洋楽は大きく2分されてしまって、これが交わるようになるのはメタリカのブラック・アルバムをロッキンオンが取り上げる91年からである。

俺はメタル系に行ってしまったので渋谷さんの番組はたまにしか聞かなくなっていたが、ほんとハードロックの聞き始める切っ掛けは渋谷さんだよ、間違いない。俺は大学に来た渋谷さんの生DJも聞いたことがある。その時、カメラを持っていた俺を「こんなおっさん撮ってどうするんでしょうね」といじられて講堂中の視線が俺に来てとても恥ずかしかった事は忘れられない。(87年だと思う)さらにめちゃくちゃ恥ずかしいが俺は昔ペンネームで渋沢永一を名乗っていた。あの大実業家じゃないんだよ渋谷陽一矢沢永吉をあわせたんだよ。うわー恥ずかしい。

とにかく渋谷陽一氏の一日も早い回復をお祈り申し上げる。

あのちょっと甲高い声をまた聞きたいよ。

そして4月からは「洋楽シーカーズ」という番組が始まります。

DJ大貫憲章氏と伊藤政則氏だ!