METAL RYCHE m-2316

METAL RYCHE鋼鉄帝国として20年ほど前から やっていたホームページから転進しました。 「鋼の旋律」は主に音楽関係について。 ジャンルは軽音楽なので気楽に読んでくれ。 「鋼鉄の言霊」は社会一般に対する我が闘争。 我が妄想に近いが、我が早漏よりもましであろう。まあ、これも気楽に読んでくれ。 「銀河のスクラップ」は本や映画の感想など人生のスパイスだな。たまに塩味がきついが気軽に読んでくれたまえ諸君。

1991年

 洋楽誌がそろって1991年特集をやっている。なんで22年になるタイミングでやるのかわかんないが(笑)。
 あの年はメタリカとガンズがニューアルバムを出しモンスター級の世界的大ヒット。メタリカは日本で91年末カウントダウンライブを行いカウントダウンが間に合わなかったというファッキングレイトなエピソードを残している。イギリスで行われたモンスターズ・オブ・ロックにはレコード会社から足代が出た多数のマスコミ関係者と共にツアー参加の一般人も数多くいた。洋楽誌が91年特集を組むのは懐かしく91年が思い出される人が多いからだろう。
 91年はバブル崩壊した年とも言われるが逆に言えば景気が最高潮だった年と言うことだ。洋楽に限らずこの年は世間一般で言われているバブル時代の典型的な年だった。いろいろな文化や製品、そして日本や世界そのものが戦後からのピークを迎えたと言っても過言ではない。(ソ連崩壊寸前ですよ)
 だが今にして思えば、にぎやかだったものの実は非常に混沌としていて非効率な世の中だったと思う。ウインドウズ95は95年に出たから95。91年の日本にPCのピの字ぐらいしかなく、一般化していたワープロ専用機は今どきのノーパソの3倍ぐらいの厚みで表示は5行ぐらいの緑色!の液晶画面だった。インターネットは影も形も無く携帯電話もまだドラえもんの世界で、よく笑い話にされる自動車電話をバブリーな人たちが持っていたに過ぎない。タバコは吸い放題でトイレは汚く24時間戦えますかが当たり前。車は買えたけどもパワステやパワーウインドウが標準ではなく軽自動車は一人乗りと割り切るしかなかった。何よりアニメやメタルは市民権が無い。”お宅”と呼ばれ嫌われていた。こう聞くといかに金が余っていてもあの頃に行きたいとは思わないでしょ(笑)。改めて考えると世の中が一番良かったのは91年から10年後、2001年ではないかと思う。今ほどでは無いにしても携帯やPC環境もそれなりに揃って、今につながる文化的な物はお宅達が遺憾なく開発力を発揮して面白かった。景気もそれなりに良かった。
 その2001年に起こった全米同時多発テロ。これこそが今に至る世界の混乱の発端になっている。21年に本当に振り返るべきだった年は、ほとんど誰も振り返ろうとしなかった20年前なのではなかったのか。