ネットで映画「八つ墓村」(1977年)を見た。公開当時、俺は小学生で「祟りじゃー」は大流行した。あれは映画というよりも志村が全員集合で使いだして流行ったのだと思う。きちんと見たのは今回が初めてだったが、まあとにかくインパクトは強烈である。
まず物語の基礎である落ち武者8人惨殺シーンがエグい。当時、エクソシストが大ヒットして世界的にホラー映画が流行っていたが、その基準からしてもかなりエグい。これが一般向け映画なんですかヒェェェ~というレベル。だが最上級トラウマシーンは三十二人殺し犯が逆光の中、異様な姿で突進してくるシーンだろう。ありゃ映画館の大画面で見た日にゃ3日ぐらいうなされてもおかしくない。
そして俺は原作にも興味を持った。
俺の嫁が横溝正史が好きで原作を持っていたので読んでみたら、これがまた面白い。
文体が古く読むのに難儀するかと思ったら全然そんなことはなく読みやすい上にいろいろなところが映画とは違って面白かった。映画はミステリーというよりも幽霊復讐譚に近いテイストになっている。(この印象はラストの幽霊メイクをどう取るかでかなり異なると思う)
そう映画は原作を忠実に映画化してるわけではなかった。横溝正史自身はこの作品に対して渥美清を金田一役に推したりしていて否定的なコメントはしていない。
今、漫画をドラマ化したところ原作者が自殺した事が問題になっている。時間や放送時間、そして配役の制約がある以上、原作と全く同じ映像作品に仕上げるというのはよほどの作品でない限り、現実的に不可能だろう。そこで脚本家やプロデューサーが腕をふるうわけだが、ここに問題があったようだ。
今、問題にすべきなのは、原作者の意思が全く尊重されず、さらに抗議したにも関わらず無視して更には自殺まで追い込んだ事の責任問題である。これを映像化云々の問題にまで広げるのは全くの的外れで、論点ずらしだと思う。
まして脚本家の能力とか全く関係ない。
そんな能力のない脚本家やプロデューサーが権力を持ちえる構造こそが問題なんだが
これって実に一般的に社会にありふれていると思わんかね。